『サラ、いつわりの祈り』──あたしゃ何も言いませんが

 おめでとう。おめでとう。よくぞ話してくれました。あなたのこれからをよりよく生きるという決意に感動しました。あなたはこのセラピーを通して自分を愛することができましたね。おめでとう。

 『サラ、いつわりの祈り』は同名の自伝小説の映画化である。
 優しい里親のもとで育てられてきた7歳の少年ジェレマイアのもとに、育児能力なしとされ親権を剥奪されていたはずの母親サラがやってきて、嫌がるジェレマイアを無理やり引き取り自宅に連れ帰る。サラは里親に買ってもらったお気に入りのおもちゃや服を全て処分すると、自分が寝室で仕事(彼女は売春で生計を立てている)をしている間ジェレマイアをトイレに閉じ込める。トイレから抜け出して寝室に入ってしまったジェレマイアは男に恐怖して失禁してしまい、男はお仕置きとしてジェレマイアの肌にタバコを押し付ける。サラはジェレマイアを弟や妹と称して男の家を転々としながら〈仕事〉をする。
 そんなある日、サラは新しい恋人エマーソン(ジェレミー・レナー)と結婚すると言い、ジェレマイアをひとり男の家に残してハネムーンに出かける。ジェレマイアはこのまま捨てられるのだと思い部屋にらくがきをするが、エマーソンはサラに捨てられたと言ってひとり家に帰ってくる。喪失感にうちひしがれるエマーソンはジェレマイアにサラの面影を認め、ジェレマイアを強姦したあと車に乗せ路上に放置する。ジェレマイアは再び児童養護施設に引き取られる。
 ここまでがだいたい前半部。レナーの出番はここでおしまいになるので以降は簡潔に。
 ジェレマイアは児童養護施設を経由してサラの両親(つまり祖父母)に引き取られる。祖父母一家は伝統的なキリスト教の一家であり、祖父はこどもたちに体罰を加えるのであった。そして三年後、ジェレマイアは路上で布教活動を行なっていたところをサラに再び引き取られる。ジェレマイアとサラはふたたび男の家を転々とする生活をはじめるのだが、ジェレマイアが女装をしてサラの恋人を寝取ってしまったことをきっかけとして、サラは精神の均衡を崩してしまう。

 この映画のタイトルでググると『あたらしい愛情の形』とか『切実な親子の絆』とかそういう言葉が並ぶわけですけれども。こういう話をアーシア・アルジェント(主演兼監督)『児童が虐待されています、でもする方も痛いんです、子供は親を愛さずにはいられないしどんな親も子供を愛しているんです、ほらこの通りエモいですね』という風に映画化することやそう享受することに関して私が言えることは何もないんですけれども。原作小説が自伝小説ではなかったというかそもそもJ.T.リロイがある女性のつくった仮想人格だったこととか、その女性がJ.T.リロイ騒動の真相を語るドキュメンタリー映画が作られたりとか、#metoo運動でいろいろあったアーシア・アルジェントが7歳の時のジェレマイアを演じたジミー・ベネットに逆#metooされたりですとか、この映画が公開されてからの15年弱で色々なことがあったのですけれども、こちらに関しても特に私が申し上げることはございません。興味がある方は各種ニュースサイトをご覧ください。強いていうならば原作小説の一作目をチャック・パラニューク(『ファイト・クラブ』の原作者)が褒めていたってことはちょっと興味を引くのですけれども(“Sarah is surprising, upsetting, offensive, and fun. It’s everything a good read — or good sex for that matter — should be.”だそう)、まあ理由を確かめるために原作を読もうとは思えないかな……という気持ちです。 
 レナーをコンプリートしたい方は是非どうぞ……なんというか、今となってはもうやらないだろうという性犯罪者の役ですし、まあ女に捨てられた婚約者が上手というか、軽いのにナイーブという微妙な表情がね……脳にね……スゥーっと……