偶然と機会

 なぜか再びドイツ語をやる羽目になっている。

 主には知人が母校でやる授業に聴講生として参加するため。彼に訳書の感想を伝えたら、同じ作家を扱うから、と授業を紹介してくれた。

 それから、インスタにいるドイツ語話者のフォロワーとお互いたどたどしい英語でチャットしているのがなんとなくもどかしいため。これはドイツ語で話したら喜んでくれるのではないかと私が勝手に思っているだけで、ただの見切り発車だ。 

 

 ドイツ語を読むのははじめてではないし、どちらかといえば人より長くやっていた。

 絵に描いたように駄目な大学生だった私は、5回生の冬にドイツ語の中級を取っていた。一応言っておくと真面目な大学生なら2回生で取り終える授業だ。

 たしか、その時取っていたドイツ語はふたつだったと思う。

 ひとつはヒルシュフェルトという人の「ベルリンにおける第3の性」という論文を輪読する授業だったのだが、これがとんでもないやつで、未だにことあるごとに人に話してしまう。「降霊術の会に行くと自認がインド人女性になり仲間の男に熱烈な愛情を向けてしまう男」の話とか書いてある。けっこう厳しい先生だったと記憶しているのだが、テキストがおもしろくて、毎週楽しみだった。

 もうひとつは、多分初級のときからクラス(クラス制度が一応あり、初年度の語学は組ごとにざっくり授業を振り分けられる)ごと持ち上がってきたような感じの授業で、よくある語学のテキスト(文章と文法ドリルのセットが12課くらいあるみたいなの)をやっていた。

 お互い顔見知りらしき2回生たちに闖入するだけならまだしも、隣の席の人と発音確認をしましょう、みたいなのをやる時間があったりするので、ちょっと嫌だった。私と同じように単位を取り損ねてこの授業を取らざるを得なかった学生が何人かいたのがせめてもの救いだったが。

 こっちの先生は美術史研究者の女性で、有能そのものという感じのテキパキとした方だった。テキストはつまらなかったけど、先生の闊達さをなんとなく気に入って、なんとなく前期から続けて取っていた。

 クリスマスの時期に、ベートーヴェンの第九の話だからということで「バルトの楽園」を流し、シュトレンを振る舞ってくれたのを思い出す。シュトレンはいかにも輸入食品っぽい味がして、近所のケーキ屋で微妙に日本ナイズドされたようなのしか食べていなかった私には逆に新鮮だった。

 

 そんなこんなで年度末になり、期末テストの出来が不安だった私はフィードバックに出席することにした。テストの次の週に解説とか答案返却をしてくれるやつだ。

 しかし、教室まで行った私は先生が一人で教壇の前に座っているのを見て私は入ろうかどうか躊躇した。というか、すごく動揺した。あんなに群れてうるさかった2回生たちが一人もいないとは思わなかったから。

 意を決して入ると、先生は私一人のためにテストの解説をしてくれた。私のテストの点は良くも悪くもなかった。ここをみんな間違えていたとか、そういうことを交えて教えてくれるので、なんとなく申し訳ないような気持ちになった。

 解説が終わって、ちょっと世間話なんかをしたのだと思う。

 最後に先生はこう仰った。

 

 ──ドイツ語、これからも勉強しつづけてくださいね。

 

 帰る道すがら、どうして、と思ったのを覚えている。どうして、私みたいなボンクラ学生に、そんなことを言ったのだろう。

 しかし機会がなかった。

 当時英語で小説を読む学科にいた私には、学校でドイツ語を使う機会もなかなかないように思われた。ドイツ語圏に原語を漁るほど好きな作家もいなかった。

 多分、あの先生は毎年、学生さんに同じことを言っているのだろう。私が教える立場でも、同じ言葉を掛けると思う。

 そうは思いながらも、その言葉は私の中で引っかかりつづけた。ことあるごとに、思い出した。大学を卒業してから、フランス語とロシア語に手を出した私だった。その度に、まだドイツ語をやっていないのに、と思ったし、結局どちらも挫折した。

 

 そういうわけで、聴講の話をいただいたとき、これは機会だ、と思った。

 偶然カラオケスナックで出会ったドイツ文学の研究者が──そして偶然Instagramで出会ったウィーンっ子が──偶然私にくれた機会。

 これを逃したら私は一生ドイツ語をやらないという予感があったし、そういうものには素直に従おうと思って、4月から聴講生になりました。よろしくね。