20211014

 寝る前にお茶をガバガバ飲んだのが悪かったのか、明け方に職場の人を痛罵する夢で起きた。こんなはっきりした願望充足の夢を見ることもそうそうないだろうと思いながら二度寝した。

 私は何やねんこいつ、と思っても本人には何も言わず、そのまま本人の目の前から消える方を選んでしまうほうだ。ずっとそうだったし、これからもそうだと思う。小さな頃は、砕いたり、刺したり、燃やしたり、轢いたり、そういう妄想ばかりしていた気がする。いまは、そういう気持ちを抱くようになる前に場や人から離れる方を選ぶようにしている。

 離れたいときに離れることができる。やめたいときにやめることができる。そういう選択ができることは幸せだ。できない人・状況のほうが多いだろう。高校生まではいやいやながら毎日学校へ行っていたので、よく無事(周りの御学友たちが)に卒業できたなと思う。

 それなりの収入のある親から、遠く離れて暮らしている、成人独身男性、だからできることかもしれない。

 なんとなく行きの電車で職場でのストレス軽減についてインターネットで調べていて、「ストレス発散はストレッサーとの綱引きのようなもので、根本原因をどうにかしないとどうしようもない、原因人物をどうにかすることが必要」みたいなことが書いてあった。

 しかし、人に変わってもらおうとか、自分が行動しやすいよう調整してもらえるとか、ぜんぜん信じられなくて、そういう努力を放棄しがちな私には、「どうにかする=やめる、消える」なのだった。

 自分でコントロールできることが食事しかない/食事をコントロールすることで自分をコントロールできるという観念が元となって摂食障害になってしまうHeartstopperのチャーリーを思い出す。

 私は人づきあいに対して、おなじようなことを思っているかもしれない。さいわい、食べることと違って、人づきあいは生きるのに必須ではない。働くことも、私にとってはそれがなければ衣食住が成り立たないとはいえ、必須ではない。

 インターネット/SNSのいいところは、やめることへのコストの低さにある気がする。こうやって一方的に拡声器で喋り続けられるブログに移ったりもできるわけだしね。

 

 今日も3時間くらい残業して、帰っている途中で、カフェ・モンタージュの来月のラインナップが出ていることに気付いた。

 上野真のフランク・リサイタルのプログラムを見て、これを一度に聞けることがあるなんて…と胸が熱くなった。セザール・フランクが好きという気持ちを久しぶりに思い出した気がする。残業で磨り減っている場合ではない。

 

 ちょっとだけしか出てない日とかもあったけど、7連勤が終わって、明日はやっと1日休み。コンサートを聞きに行くつもり。

 帰ったら住民がドーナツを揚げてくれました。私はともかく、みんなの生活習慣病が心配です。

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