比喩から比喩へ

 今年のはじめに辞めてしまいもう記憶もあまり残っていない会社の入社式を、私は高熱で休んだ。

 引っ越しの作業が大変だった(毎日近くのホームセンターや家具フロアのあるデパートに行ってはカーテンとか鍋とかをどうするべきか悩んでいた)とか、入社式で使う自己紹介スライドを作るのが心底嫌だった(なぜか家族構成や地元のことに言及しろ、という指示があって本当に作りたくなかった)とか、そういうのでストレスを溜めたせいで体調を崩したのだろう。ストレスが溜まっている時に高熱を出すことはそれまでもあった。

 四月一日の数日前から当日まで熱が下がらず、泣く泣く私は"弊社"となるべき場所(当時)に電話を掛け、「内定式に行った方がいいのではないか」という親からの圧力を躱し、粥とウィダーを啜りながら寝ていた。研修担当の人は休んでくれていいと言ってくれたが、後になって「内定式を休むようなやつはやばい」と偉い人たちに言われていたらしいことを知った。

 いつからそう思いはじめたのかは覚えていないが、なんだかメタファーじみた高熱だった。エドガー・アラン・ポーとかがやるやつ。行きがけに黒猫と会うような感じの。「いま思うとあれはそれから起こることを知らせる凶兆だったのだ──」みたいな。

 日常にメタファーを持ち込みたくない方だ。何かの折に「日常生活でメタファーっぽいことが起こるのが許せない、やめて欲しい」と言ったら友人に驚かれたことがある(その友人は日常をメタファーだらけにしたいというようなことを言っていた)。

 しかし、その高熱は実際にメタファーとして機能しはじめた……というかそれから勤めている間ほぼろくなことは起こらず結局辞めることになったので、結局メタファーになったと言うべきか。働いていた間じゅういま思うとあの高熱は……と何度思ったことかわからないし、あんまりこういう呪術的な考え方はよくないとは思いつつも半ば冗談として口に出してもしまい、そうなるともう真実になってしまうものだ。

 

 そのメタファーは一応私の退職を以て効力を失ったと、辞めた時には思った。しかしそれから半年以上のことを思うとそうでもなかったかもしれない。

 職を探すのは最初の数ヶ月で諦めた。フィードバックの「いいところ」欄に「何もなし」と書いて寄越してきた企業とか2週間にいっぺんしか連絡してこない挙句に落としてきた会社とかそういうのばっかりにぶつかって嫌になってしまった。

 それから、ファーストフード店でアルバイトをした。これはそこそこ楽しかったが心身共に消耗が激しい仕事で(なぜか月に160時間前後入っていた)、最後の方はそれまでかろうじて保っていた創作活動やオペラや演劇を見る習慣もどこかへ行ってしまった。

 私の人生はこのまま「働く」ということと適切な関係を結ぶことができずじまいなのかもしれない、と思うようになった。つまり、メタファーにはまだ効力がある。

 

 この2年間弱、京都に戻りたい、と譫言のように言い続けていた。

  京都に戻るために小説の賞を取って賞金で引っ越すぞ!と思って3週間で3万字の小説を書いたりしていた。フルタイムで働きながらよくそんなことが出来たなと今となっては呆れ返ってしまう。粗製濫造の本文より会社のトイレで〆切当日に書き上げたという逸話の方がおそらく愉快、という代物なので、当然1次選考で落ちた。

 にも関わらず仕事を辞めてすぐに受けていたのは東京の会社だった。それは東京のIT会社の人に、エンジニアとして働くなら東京の方がいい、新しい技術とか流行りの技術とかを扱ってる会社はどうしても東京の方が多いし間口も広いから、と言われたからだった。いま関西の会社を受けている感触としてもそれはあまり的外れなアドバイスではなかったと思う。

 だが特にエンジニアの仕事を通してやりたいことや使える技術がある訳ではない私は、当然のように職を得ることができなかった。面接で聞かれれば苦し紛れの答えをその場でひり出しはしているが、正直新しい技術を使っている会社の方がなんかマシそうという以上のことは特に今でも考えていない(前の会社があまりにその辺……だったので正反対の所に行きたい、というのはあるが、動機としては──まあちょっと言えないよね)。

 多分このまま受けていても何の意味もないだろうと悟った私は、いちど就活を辞めて近所でアルバイトをすることを決意した。

 その途端、今まで悩んでいたのが馬鹿らしいほど簡単に、京都に帰りたい、が、京都に帰るか、になった。

 だってもう、失うものなんて何もないし、と思ったことを覚えている。その瞬間の高揚は、数ヶ月経った今でも微かに思い出すことができる。キャリアなんてもの、手に入れようとするだけ私には無駄だろう。友達だってみんな関西にいるか、定期的に関西に戻ってくる(私も折に触れては上京するだろう)。「普通」に生きるということを、私が──例えば性別に規定された役割に5歳で疑問を覚えた私が──望むこと自体、てんで筋が違っていたに違いない。

 そういう訳で、ちょっとだけバイトをしてお金をちょっと貯め直して、京都に引っ越そうと考えた(あんまり貯まらなかったけど)。バイトを始めてからの3ヶ月はあっという間で、何もなければ来週の今頃には京都にいる予定だ。

 京都に本当に引っ越す、と知った友人知人たちの助けでとりあえず家探しはどうにかなりつつある。仕事の方も一応いくつか関西の会社を受けたりしている。目下の懸念はいかにクレカの引き落としを失敗しない程度に税と保険料と国民年金を払っていくか

 

 最近少しずつ読み進めている本の一つはトーマス・ベルンハルトの「アムラス」なのだが、この前ふと思い出したことがある──私は京都を出るその日に大学の生協でベルンハルトの「凍」を買い、途中の電車で読んでいた。

 だから、京都に帰るときに「アムラス」を読んでいれば、それはまた新しいメタファーになるかもしれない。京都を出ていた間のことは全て長大なストレッタに過ぎずこれでひとまずのコーダに戻ってきた……みたいな感じで。都合が良すぎるか?

 

さあ楽しみましょう、
喜びの渦の中に消えていきましょう。
私は自由に、
花から花へと遊べばいい、
私が人生に望むのは、
快楽の道を歩み行くこと、
夜明けも日暮れも関係ない、
華やかな場所で楽しくして、
いつも快楽を求め、私の思いは
飛び行かなければならないのだから。