闘牛場でオペラを

NIIKEI文学賞のエッセイ部門に応募して落ちたやつ。

 


柏崎のだいぶ山寄りのほうにあった母方の実家を引き払ったその年の終わりに、コロナが始まった。

新潟という土地に特段の愛があったわけではなかった。海が好きというわけでもない。唯一覚えているのは、近所の――と言っても歩いたら20分は掛かっただろう――「マルイ」というスーパーのお刺身がおいしいこと。

そんな私だが、それからも一年に一度は新潟に行っている。舞台公演を観に行くためだ。

おととしは新潟市の「りゅーとぴあ」で、専属バレエ団である「Noism」のバレエ公演を観に行った。そして去年は、小千谷の闘牛場まで『カルメン』というオペラを観に行った。

まさか闘牛場でオペラとは、と思ったものだ。

カルメン』のあらすじは、ジプシー(1)のファム・ファタル(2)にマザコン(3)の兵隊さんが懸想するも紆余曲折を経てファム・ファタルが突然現れたイケメンに寝取られてしまう、という説明するだけでスリーアウトという代物である。そのイケメンというのが闘牛士なのだ。

友人の運転で小千谷までたどり着いた私は、本気で目を疑った。なんてったって、町中がオペラに沸いているのである。「カル麺」フェアと称し、へぎ蕎麦をはじめとして町中の「麺」を出すお店が、コラボメニューを出していた。そして果物屋兼クレープショップに入ったら、おかみさんに「オペラ見に来たんでしょう?」と訊かれる始末。これはなに、とクレープを握り締めながら思ったものである。オペラでこんなに町じゅう盛り上がることって、ある?

シャトルバスに乗って闘牛場までたどり着き、地元の人の手編みだという座布団を受け取って席に座った。オーケストラが音出しをしていた。遠くからは発声練習の声が聞こえた。舞台はすり鉢の底にあって、ちょうど「通行禁止」の標識みたいな具合で斜掛けにラインカーペットが敷いてある。

不思議な体験だった。

まわりで虫が鳴いていた。鳥たちが舞台の上を横切っていった。日が暮れてだんだんと暗くなると、観客席の向こうに峻厳な樹々の影が見えた。森の中で野営するジプシーたちはいかにも本物めいて見えた。

鳥の声とともに「恋は野の鳥」を聴く機会などもうないだろう。

ところで『カルメン』と言えば闘牛士たちの行進である。「小千谷カルメン」で行進していたのは、町のえらい人に、地元の子供たち。牛も居たかもしれない。地元の闘牛士たちは、実に威勢のいい掛け声を上げてくれたものである。「よしたー!」。