透明な銃弾

 就職してから、通勤時間に小説を読んでいる。通勤時間が長いからだ。電車に乗っている時間が50分、満員になる時間を抜くと約40分は電車に揺られている。研修期間のときなんか、その時間が1時間以上あった。

 Twitterすら見飽きるほどの空白に耐えかねて、まず初めたのはduolingoという語学学習のアプリだった。フランス語をやったが、数十時間掛けて最初のレッスンを終えたくらいでゴールデンウィークに入り、それ以降やっていない。電車だと発音の練習ができないのがちょっとネックだったというのもあるが、それ以上に、小説を読みはじめたからというのが大きい。

 きっかけはいくつもあったのだろうが、主たる出来事としては春に友人とピクニックをした帰り、一緒に書店に寄ったことだと思う。新宿の小田急百貨店にある、そこまでは大きくない本屋だった。友人が本を見繕ってほしいというので今村夏子の『あひる』を持たせ、自分はといえばまだ文庫で出たばかりだった皆川博子の『クロコダイル路地』を買って帰ったのを覚えている。

 それをいつ開いたのかは正確には覚えていないけれど、ゴールデンウィークの最中に実家で読んだのを思い出すに、4月の末くらいには読みはじめていたのだろう。たぶん通勤電車の中で。兎も角それは、いつぶりか思い出せないくらいには久しぶりの、自主的な読書だった。

 

 本なんか読まなくても生きていける、というのが長い子供時代の結論だった。

 もともと本を読むほうではなかった。私のおもちゃはニンテンドー64と豆腐みたいな形のマッキントッシュで、友人といえばマリオのぬいぐるみ。愛読書と言えるのはコロコロコミックとか小学館の園児児童向け雑誌くらいだったと思うが、内容はあんまり覚えていない。

 両親も本を読む人ではなく、棚にあったのはほとんどが漫画や雑誌だった。

 父は多少は読書をする習慣があって、若い時分には村上春樹池波正太郎、いまではSFなんかを読んでいる。帰省したら『少女終末旅行トリビュート』がダイニングテーブルに乗っていたりするくらいには、最先端のものをキャッチアップしている気がする。でも基本的には登山とかスキー、テニスなんかの方が好きなんじゃないかと思う。

 母は活字よりは少女漫画やドラマの方が好きで、私が幼い時分にはアニメも観ていた。読み書きもできない時分に母親の膝の上で『エースをねらえ!』『CLAMP少年探偵団』『少女革命ウテナ』なんかを観た記憶が私のアニメ原体験だ。いまでは民放のドラマを全部録って観ている。面白くないものから切ってはいるのだろうが、本当にほぼ全部録って見ている。ちょっと真似できない。

 なんというか、両親ともども本なんか読まなくても生きていける人生だったのだと思う。こどもが生まれる前には書痴になるような時期があった、という可能性に思いを馳せてみても、かなり難しい。本を読みなさいなんて言われた記憶はほとんどない。白々しいと自分でも分かっていただろう。首を括る時、縄に石鹼を塗ることを思い付くのに大学を出る必要はない、みたいな考え方とそんなに距離が離れていたとは思わない。本を読むことの必要性なんか、説明できるはずもない。

 必要性? 私にも、そんなことを説明できるとは思わない。それは私も同じだ。

 中高生の時分は多少本を読んだ。インターネットはおそろしいもので、1時間もあれば人を容易く似非ディレッタントごっこという畜生道に堕とす悪魔の発明だと思っているのだが、なぜか日本ファンタジーノベル大賞にリーチして、そこから受賞作や受賞作家が好んだ作家を辿ったりした。

 どうしてそうなってしまったのかというのを説明するのは危うい。『蹴りたい背中』の主人公よろしくどうにもならない反抗期を送っていた、というのは簡単だけれど、もうちょっと色々あった。

 そういうわけで、読書の習慣がつく前に小説の創作を初めていた、という爆薬の匂いがぷんぷん漂ってくるエピソードから話を始めることになる。その手の人間は往々にして「私には書くべき題材がある」という謎に満ちた自信を持っているもので、たとえば私はいわゆる“クローゼット”だった。今でこそ笑い話になるけれど、当時はそれなりに悩んでいた。田舎の公立男子校、という環境が、私にどういう苦しみを与えたものか。子供のときから現在を通して、私の友人は8割が女性で、それは多分、お互い恋愛対象ではないことを知っているからだ。

 楽器はかなり気晴らしにはなる趣味だったけれど、それだけでは足りなかった。

 何か、自分を鎧うものが欲しかったのだと思う。持っているだけで特別になれるようなもの。この集団の中で、自分だけが価値をわかるのだ、と思える何かを必要としていた。その子供らしくも切実な需要に、日本ファンタジーノベル大賞というのは宜なるかなという入り口だったのではないかと思う。だってさ、あの賞出身の良い作家ってみんな寡作というかなんというかだし。田舎じゃ、その辺の書店には置いてなかったし。

 佐藤亜紀佐藤哲也は私のヒーローだった。森見登美彦が私のその後数年の人生を決定して京都へと向かわせ(今にして思えば安易すぎて泣けてくる)、井村恭一のデビュー二冊目を15年越しにジリジリ待つという訳の分からない体験をした。北野勇作高野史緒を読んで自分はSFが好きなのだと勘違いして大学でSF研に入ったりしたのもまあ悪い思い出ではない。そのへんから派生して、山尾悠子とか伊藤計劃皆川博子なんかも読んだ。値打ちがわかっているとは今でもあまり思わないけど、いや、まあまあ幸福な読書生活だったんじゃないかと今にして思う。偏ってるのは、そうなんだけど。

 しかし、そういう経緯だったものだから、大学に入ったあたりで“クローゼット”を半ば成り行きで抜け出し、つらい時期を過ぎてしまうと、読書は私の中であっけなく必要のない趣味に成り下がってしまった。楽器の演奏をしたり、SNSをしたり、友達と遊んだりする時間の方が私の中では大切になっていた。小説は部誌の締め切りに合わせてたまに書いていたけれど、私が普段あれだけ馬鹿にしているハンドメイド雑貨のように恐ろしく詰まらないものを書いていたと思う。

 読むほうはといえば、思い出したように読むだけで満足だった。冬にテレビを付けるとたまにフィギュアスケートに目を奪われるけど、あんまり追おうとは思わない、という感じ。たまに、美しいトリプルアクセルやステップシークエンスを見て、おお、やっぱ凄いわ、とか何とか言うくらいで、全然よかった。

 私はもう別に小説を必要としていないんだな、と思いながら数年を過ごし、そのまま卒業して、長かった子供時代に別れを告げ、会社勤めをはじめた。

 それで全てがおしまいになった。

 


 無意識のうちに本に手を伸ばすくらいには参っていた、と言わざるを得ない。今からすれば楽園のようだった研修期間ですらそうだったのか、と呆れてしまうけれども。その後も、週に映画を10本観るぞ、と謎の意気込みを持ってゲオ宅配レンタルの会員になったり(ゲオ宅配レンタルは旧作一作五十円で借りられてオススメ)、突然ピアノを再開したくなって電子ピアノを買ったりした。身近な人間にいろいろ話を聞いてもそういう結論になるのだが、突然それまで考えたことがなさそうなアクティビティや習い事をはじめる会社員は、かなり参っている。

 何がこんなにつらいのかよくわからない。上司に怒られるわけでもないし、残業もしていない。ただ、どうしても今の仕事にまつわる全てがうっすらと嫌いで、その気持ちはだんだんと強くなっている。職場の男性率がものすごく高いのが問題なのかもしれない。自分が損なわれている、という考えに日中絶えず苛まれている。時間が損なわれている。私が労働に適さないだめな人間であるということ以外に特に理由を見つけられないまま、精神の健康がちょっとずつ削られていく。

 脅迫観念なのかもしれない。ただの未練なのかとも思う。自分が自分のままでいられた時間が、私には大学時代にしかなかった。この数年間、何かにならないといけないなんて誰にも言われたことがなかった。それを、うっすらと強いられている。自分が一切なりたくないものに、させられようとしている。

 周りの上司が人間であることを信じられなくなり、信じられなくなればなるほど、自分が自分でいられなくなっていく。

 きちんと就職活動をしたらよかった、と思いながら、日々を耐えている。そろそろ動きはじめなきゃ、転職活動なり何か勉強するなりしなきゃ、と思いながらも身動きがとれない日々が続いている。生き汚いところがあるので食欲が落ちたりとかはまだしていないけれど、何か行動にも支障が出ていないとは言えない。せめてボーナスの出る月まで保ってほしい、と他人事のように思っている。

 


 これから、私は転職活動に向けて勉強をすることになると思う。生き汚いので、ボーナスをもらう月までは──最長あと2回もらうまでは──いまの職場にいるとは思うけれど。

 いまのところ、何を目指すかはっきりとは決めていない。そもそも平日は考える気力すらないし、不安はかなりある。

 でも自分が何に絶望していたかははっきりしている。私はこのままどこにもいけないのではないかという考えが、私をこの数ヶ月じわじわと追い詰めてきた。

 その不安を打ち払うのに、小説が必要だったのだと思っている。

 今週は『キャロル』(パトリシア・ハイスミス)と『アイリーンはもういない』(オテッサ・モシュフェグ)を読んだ。どちらとも微妙にズレるのでこういう纏め方はしたくはないのだが、どちらもある女性がべつの“運命的な”女性との出会いを通じて抑圧的な家父長制世界から逃げ延びるような内容だった。世界を革命していた。変な話、いまの私が読むのにはかなりぴったりだった。普段はこんな読み方をしないのに、励みになるような、妙な高揚感を覚えた記憶がある。

 ナボコフの授業で、先生が『テヘランで「ロリータ」を読む』について触れて、屈託なくこう言っていたのを思い出す。

 ──それは文学の読み方としてひとつのあり方だと思っています。

 そうなのか、と驚いた記憶がある。

 今となっては、そうだな、と思うほかない。

 私の暮らしには、風穴が必要だった。通風孔が。あるいは火打石でも爆薬でもいい。顕微鏡でもよければ、ルッキンググラスでもいい。自分の似姿でもいいし、全然違うということを思い出させてくれてもいい。何だってよかった。

 それは映像でもいいけど、私には言葉の方が嬉しかった。言葉は、覚えておけば、口の中でとなえることができる。懐に持つことができる。言葉という透明な銃弾は、実際のところ砂糖菓子よりだんぜん脆いと思っているけれど、それを持っているということは、生きることのよすがくらいにはなる。

 しばらくは、小説を読むのをやめられそうにはない。