去年の年末に、学生時代を過ごした京都市に戻ってきたのはTwitterをご覧になっている方ならご存知だと思います。
引越しも無事に済み、今は学生時代に入っていた曖昧な労働にぬるっと再雇用してもらいつつ、現地の正規雇用の募集に応募したりしています。短期的にはギリギリですが、なんとなく曖昧に生計を立てていくことは多分、できると思います。
仕事を辞めてからこれまで、インターネットを経由してたくさんの方にご支援をいただきました。
まず、金銭的・物的支援をくださったみなさま。例えば──ブログサービス経由で頂いた投げ銭。電子書籍の売上。Amazon欲しい物リスト経由でのプレゼント。自分で持っていると風俗に使ってしまうからその前に貰ってほしいという理由でいただいた現金。単発のライター仕事。どれも大事に使わせてもら……っているようには見えなかったかもしれないけれど(Kindleで大量にBL漫画を買ったり*1)、皆様のご支援がなければ多分いまごろ口座がマイナスになっていると思います。本当にありがとうございました。
それから、書いたものを読んで感想を言ってくださったり、オンライン上の通話などで話をしてくれた皆様。ほとんど家から出ない生活の中、面白がってもらったり喜んでもらったりというのは、大きな救いでした。
何の計画もないまま自己都合退職をした私がここまで行き着くことができたのは、皆様のおかげです。
本当にありがとうございました。
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私がなぜこうもこの街に執着しているのか、私にもよくわかっていません。
仕事を放り出し、家具と家を捨て、引越してきた今となっても、はっきりとしたことはわかりません。
東京からの深夜バスを降りてタクシーに乗り、今の家へと向かう途中、なんてみすぼらしく煤けた建物ばかりの街だろう、と思いました。
なぜ私はこの街に戻ってきてしまったんだろう、と思いました。
もちろんこの街にはいいところが沢山あります。
例えば、いい感じのカフェやレストランや居酒屋がそこら中にあること。埼玉ではこうはいきませんでした。私が去年まで住んでいたところは駅ビルの無印が潰れてダイソーが入るような土地だったので、いい感じのカフェなんて生き残れるはずもなかったのでしょう。
それから、ほとんど何でも市内で事足りて、自転車で全域を回れることとか。埼玉ではこうはいきませんでした。住んでいる場所にもよるとは思うけれど、シネコンもコンサートホールもデパートも美術館もちょっとチャリを漕げば着くのは凄いと思います。
それでも無いものは無い。
例えば東京の新国立歌劇場みたいに、自主公演を年数回行う歌劇場(団)とか。海外のオペラ劇場の来日公演とかもこちらまでは来たり来なかったりという感じだと思います。
映画についても、意外と完璧というわけでもないのです。シネコンもミニシアターも複数あるのに、大阪まで出向いていかないと観れないやつが普通にある。ナショナルシアターライブもTOHO二条に掛からなくなったらしいし。
でもそんなことは全て、いいも悪いも含めて、どうでもいいことであるように思えます。
私はこの街に来るまで、どう生きたらいいのかわからずにいました。
大学進学と同時に地元を出た私は、ほぼクローゼットのゲイ*2でした。数少ない友人にはカミングアウトをしていましたが、彼らとは全く遠い場所に進学してしまいました。
今だからこそ笑い話にもできますが、当時の私にとってはセクシュアリティは大きな悩みごとでした。常に秘密を抱えているような気持ちを持っていました。大ごとではなく、少し間違えれば迫害されると思って生きていました*3。迫害妄想に歪められた価値観を、私は完全に持て余していたと思います。
そういう時期にあって、セクシュアリティを受け入れてくれる友人に恵まれたことは本当に得難いことだったと、今にして思います。未だにカミングアウトをする時には少し緊張しますが、その当時のそれは今の比ではありませんでした。
対人不安とかそういう諸々が治まって、コミュニケーションの所作が落ち着くべきところに落ち着いた、と感じられるようになるまでには長い時間が掛かったように思います。
そしてこれは、この街に来なければ、というか大学が違っていたらこういう結果にはならなかったような気がします。
私があの大学に入ったのは、まだ例の"自由の学風"が今より少しは残っていた時期でしたし、今はどうかわかりませんが、入学したばかりの私の目には「好きに生きている人」がたくさんいるように思えました。「好きに生きている人」というか「あんたこれからどうすんねん」と思うような人が異様に多い*4サークルに入ってしまったせいな気もしますが……そういう人は他人が多少調子外れでも気にしないものですから。
東京や大阪の大学を進学先に選んでいたら、私はクローゼットのまま昼の世界を生きていたのかもしれません。
やっと生き方を覚えた土地だから、ここまで固執するのかもしれません。
でも、これもまた、どうでもいいことであるような気がします。
この街がどこか反中央的な雰囲気を保っているからかもしれません。いざとなったら皆倉庫とかから猟銃ひっつかんで比叡山とかでゲリラをやりそうな雰囲気があると思います。
あるいは、永遠に観光をしているような気持ちでいられるからかもしれません。何年住んでも地元とは呼べないような、そういう雰囲気が、異国を旅するときに感じる解放感に似て心地いいのかもしれません。
でも何もかもがつまらぬ、どうでもいいことです。
とにかく私はこの街に戻ってきました。
そして、これからも生きていくのだと思います──この街で。