スカラ座/ミキエレット演出『サロメ』(2021)──黒羽の天使、家族のトラウマ、そして信仰への回帰

追記:途中までヨカナーンは生きてる歌手が歌ってました。恥ずかしい。マジの彫像になるのは首を取られたあとだったかな。

 

 私信にお答えして。

 黒翅の天使が舞台上を闊歩する『サロメ』は2021年2月にスカラ座でプレミエされたミキエレット演出のものです。指揮はリッカルド・シャイー

 サロメ役のエリナ・スキティナが動画を全編アップロードしてるんだけどいいのか……? ロシアには著作権法がないのか……?(ok.ruの国はやっぱすごいな……?)

 

 思い出すだけで泣けてくる読み替え演出というのがたまにあり、私にとってミキエレットの《サロメ》はそのひとつです。

 とはいえリヒャルト・シュトラウスの《サロメ》やワイルドの原作戯曲の上演史・受容史などを掘らないことには攻めたことを言いづらいので(いまならたぶんsaebou先生のブログやTwitterを「サロメ」で検索するのがいいと思います)簡単にどんなものであったかだけご説明します。ネタバレがおいやだったら、見てからのほうがいいかも……

 

 舞台は前面と奥面に区切られています。前面には真ん中に大きな穴が開いていて(これはおそらくト書きの段階でヨカナーンは地下の穴に入れられているから)、基本的にはこちらにダンサーや歌手がいます。後面は両開きの扉で閉じられており、映像が映写されたりもするのですが(最初のサロメ家系図はなんかコメディ風でよかったですね)、シーンによって開きます。

 その扉はサロメの記憶を閉ざす扉です。いくつかのシーンでは、その扉はサロメにトラウマを見せるために開きます。

 何のトラウマか?

 この演出の肝は、ヘロデヤがまだ幼かったサロメに前王フィリポを殺害させた、というところにあります。サロメにとっては、まだ分別もつかぬ時分に愛する父親を殺害(というよりヘロデヤの言う通りにしたら動かなくなっちゃった、だと思う)してしまうわけです。

 そのトラウマゆえにサロメは“狂女”になった、というところから始まる演出である──というのは言い過ぎでしょうか。

 そして、この演出を支えるもうひとつの肝。それは、ヨカナーンがヘロデがコレクションしている石像として出てくることです。

 現代演出でヨカナーンをヨカナーンとして出すという荒業。

 ヘロデが地下にコレクションしていたヨカナーンの石像を地上に上げると、部屋にフィリポ殺害を告発する声が響き渡り、サロメの記憶の扉が開きます。

 ヨカナーンの告発を聞くことでサロメはトラウマを直視します。サロメは激怒してヘロデヤに詰め寄り(これは踊りのあとだったかも)、7つのヴェールの踊りを踊ります。7人の目隠しをした男が出てきて、スーツを脱ぎます(ここ何もわかんない)。

 サロメはヘロデにとっては単に高価でありコレクションでしかなかったヨカナーンの像を破壊させ、首だけになったヨカナーンの像に向かって歌います。ヨカナーンの首を前に、葡萄酒を拝領するサロメ──この演出は罪の自覚と贖罪、あるいは信仰への回帰をもって閉じられます。

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サロメ》。ワイルドの戯曲が発表されて以来120年間、狂女あるいは単なるファム・ファタールとして描かれ続けた女の物語(上演史がわかってないんでそうじゃないのもわりとあるかもしれないけど、カリタ・マッティラがバーレスクダンサーやってる2004年のメトロポリタン歌劇場のやつとかも数年前のイヴォ・ヴァン・ホーヴェがヨカナーンをドラッグディーラーにしたマフィアもの演出とかも基本的にはそこはあんま突っ込んでなかったなかったという認識)。それをこうも鮮やかにひっくり返してみせることができるということ。

 きっとこれは私にとって、思い出すたびに胸が熱くなる演出のひとつであり続けることでしょう。