皆川博子『インタビュー・ウィズ・ザ・プリズナー』

 皆川博子『インタビュー・ウィズ・ザ・プリズナー』は、イェニチェリ戦争からWW1のUボートまでを「塩=〈時〉が結晶したもの」をよすがに繋げた傑作『U』と同じく、ある登場人物の手記とそうでない部分が交互に挟まれるという形式で書かれている。そして、バートンズたちがスター・システム出演をした『クロコダイル路地』ともリンクすると思うのだが、複数のアイデンティティを持った語り手の自我が歴史的状況に引き裂かれる話でもある。

 しかし、「ポーの一族」よろしく不死となったふたりの行方を誰も知らない…というラストだった(と記憶している)『U』とは明確に違う点がある。それは、物理トリックのハウダニットやフーダニットを二転三転させながらも、「誰がこのテキストを書いたのか」という問題が焦点になることだ。

 それは、小説を少しでも学んだ方なら自然に考えることが核になるトリックだ──この記述は、誰が、どの時点から作成したものなのか。全てに答えがあるわけではないにせよ、それを考えずに小説を読むということは難しい。

 優れた小説というものはしばしば、記述と記述の間の矛盾を探すことを読み手に要求する。そういう、登場人物の言動、語り手には本来語ることのできないはずの事物……そういう、仕組まれた矛盾を解いてやっと「意味」が現れる。

 全ての小説はミステリで、あなたは探偵である。

 だってカートみたいだから あたしがコートニーじゃない

以下ネタバレです。

 

 作品後半で、どうも「犯行」パートに書いてある文章と「調査」パートでエド達が読んでいるテキストは違う、ということがわかる。その上、「犯行」パートが途中でアシュリーの一人称からクラレンスの心情が多く描写される三人称の記述になることもまた不可解である。

 これは、登場人物たちが気付いていない矛盾、私たち読者のために用意されたトリックである。「挑戦状」と言ってもいいかもしれない。エドが手記の改竄ポイントを指摘するところは、読者に注意を促す効果がある──つまり、誰がどの部分を書いたか考えてみてください、という大変親切なインストラクションになっている(ミステリーというのは親切な書きものだと常々思う)。

 では、皆川博子の用意した「解決編」はどういうものなのか。

 最後に挟まれたクラレンスの手紙によれば、ここまでのテキスト(の素材となったであろうテキスト)をアルバートに託している。つまり、ここまで読者が読んだテキストはアルバートないしバートンズの誰かが編集したものである、という読み方ができる。それが誰かは……『開かせていただき光栄です』『アルモニカ・ディアボリカ』をお読みの方なら、きっとそう考えずともお判りになるでしょう。

 最終巻の最後の最後で、こんな“イースター・エッグ”を用意する、作家生活50年目、御年91歳……凄まじいという他ないでしょう。生きとし生けるものはみな皆川博子と同時代を生きたことを感謝し、手に入る限りの作品を読みなさい。

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 Twitterでよろしくやっていたときの記事を見るとなんとなくいたたまれなくなるので一部公開を停止しました。