7月18日 火曜日 晴
部屋干ししかできないアパートに住んでいるのに2週間分の洗濯物を溜めてしまった私は、一度も使っていない近所のコインランドリーに行こうと思い立った。
イケアの青い袋に洗濯物を詰め込んで、自転車に乗った。15分後には仕事を始めるべき時間になってしまうので、急いでいた。信じられないくらい暑い日だった。
コインランドリーの自動ドアは押すタイプのやつだった。何度も押してみたけれど、開かなかった。カポ……カポ……とスイッチがむなしく音を立てる。
中におじいさんとおばあさんがいた。コインランドリーのオーナー夫婦が鍵をかけて点検でもしているのだろうか、と思っているとおじいさんのほうが私に気づいて、ドアを手で開けてくれた。
「その洗濯物やったら中型のやつやんな? いま、いっぱいなんや」
おじいさんとおばあさんは毛布の乗ったカートを押して、まだ動いている小型の洗濯乾燥機の前まで押した。
「にいちゃん、これな、空いたら入れといてくれへんか。たのむわ」
どういうこと? と思っていると、おじいさんとおばあさんはドアを手で開けて、外に止められた車に乗って、どこかに行ってしまった。
私はひとりで取り残された。
わけがわからなかった。入れといてくれへんかって、お金入れて動かせってこと? お金渡してくれなきゃ無理じゃない?
そうこうしているうちに中型の洗濯乾燥機がひとつ停止した。しばらく待っても持ち主がやってこなかったので、私は中身をかごに移して、自分の洗濯物を入れた。
プリペイドカードに課金をしていると、ヤンキーっぽい夫婦が入ってきて、さっき私が引きずりだした洗濯機の前で話しはじめた。
「うわ、出されてる」「このままもう1回乾燥させよ思ってたのに」
私は横目で2人を伺った。夫婦も私を見ている。それも仕方がないことだった。どう考えても私が下手人だ。
「どうする?」「空いてる小型のやつに移すか」
私はそのまま洗濯機を起動せずに、そこを逃げた。とにかく余計なやり取りが発生してほしくなかった。
夫婦は車で来ていた。踏切を挟んで斜向かいに、潰れたパチンコ屋がある。私はその柱の陰に隠れて、車が去るのを待った。
全てが面倒だった。もう全部あそこに置いていこうかな、と思った。服なんてまた買ったらいい。古着屋とかで。
夫婦が去った。汗だくになりながらコインランドリーに戻ると、おじいさんとおばあさんがさっきのヤンキー夫婦が動かした洗濯乾燥機の前でおろおろしていた。
「にいちゃん、誰か割り込まはったんか? ここ」
すいません、お金取りに行ってたんで……とか何とか言い訳をすると、おじいさんとおばあさんはしゃあないなあ、と言って車へ戻っていった。私は自分の洗濯物を入れた洗濯乾燥機を動かして家に戻った。
ひどい目にあった。しみじみとそう思った私は、学生時代からの友人しかフォローしていないTwitterのアカウントでツイートをしたためた。
仕事の前にコインランドリーに行くかと思ったら地元の面倒くさいコインランドリー争奪戦に巻き込まれて予定時刻に出社できなかったんだけどなんなん?????????????
1時間仕事をして、財布と携帯を持ってコインランドリーに戻ると、おじいさんとおばあさんも、ヤンキー夫婦もいなくて、私はほっとした。乾いていなかったら追加で乾燥機を回そうと思っていたが、開けてみたらその必要はなさそうだった。私はイケアの青い袋に洗濯物を詰めてそれを抱え、家に戻った。
異変に気づいたのは1時間後だった。
携帯がないのである。さっきまでゴロゴロしていた布団をめくってみても、ベッドの下を覗いてみても、見当たらない。
まさか、と思って探してみると、財布もない。
コインランドリーに持っていったところまでは覚えている。そこから持ち帰って、どこに置いたのだったか。
いや……そもそも持ち帰ったのだろうか。青い袋の中に財布を入れて出したという記憶が、そもそもない。
自転車に乗ってコインランドリーへ戻ってみたけれど、私が作業をしていた机の上には何もなかった。
パソコンのチャットで上司に事情を伝え、会議を延期してもらった。心配する上司をよそに、私は落ち着き払っていた。
どうすればいいかはわかっていた。ここ数年で、財布を3回、通帳を1回、携帯を2回、定期券を1回警察で引き取っている。この数字が正しいのかも怪しい。つまり数え切れないほど紛失している。私は落とし物のプロだった。
私は警察に行き、落とし物の窓口で特徴を伝えた。落とし物のプロなのに書類には山のような書き漏らしがあり、全てその場で書き直しを命じられた。
照会してもらっている間に壁の掲示物を見ていたら、ひとつの掲示が目に留まった。知り合いの知り合い、くらいの失踪を伝える紙。私はその結末を偶然知ってしまった。書くことはできない。まだ紙を町中で見かける。
やがて高野の交番に届け出があったことを知らされ、引き取りに行った。
携帯と財布を取りに来たことを告げると、窓口にいた若い警察官は笑いを噛み殺しながら財布を渡してきた。まあ財布と携帯をセットで忘れるようなやつはバカにされても仕方が無いだろう、と思ったが別のことに思い当たった。
財布に、放送大学の学生証を入れていた。放送大学の学生証は写真の規定がないので、誕生日に取ってもらった浮かれた写真を入れていた。後輩がダイソーで買ってきた魔法少女の変身スティックを構えている写真だ。
でも、やっぱりあの警官は単に無礼なだけだったかもしれない。小銭を出した拍子に劣化した皮はパラパラ落ちた時、うわ汚な、と言った気がしたから。
中身は多分無事だった。元々財布に何円入っていたかなんて覚えていない。
私は交差点の向かいのイズミヤでよわない檸檬堂とおにぎりを買って、家に帰った。私はさっき偏見丸出しのツイートをしたことも忘れて、地元の人々のあたたかさに感謝した。